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教士七段
大野剣友会最高顧問(前会長)。市川市剣道連盟顧問。生涯をかけて剣道を追求。早稲田大。鹿島建設の大将として活躍。父と共に国体に出場するなど実績多数。大野剣友会では創立以来40年間剣士の育成に尽力してきた。緻密な理論と比類なき情熱。「剣道を楽しむ心があれば十分です。剣道を通じて人生を楽しみましょう」
学生時代は柔道部。小学生の息子が剣道の全国大会に出場したことに触発されて38歳で剣道を開始、遅いスタートをものともせず七段まで昇段。83歳を超えて満身創痍の今も現役として元立ちを担い続ける鉄人剣士。理想の手の内を追求し小判型をミリ単位で研究するなど、剣道具の創意工夫にも定評あり。生き物全般が大好きで、魚釣りとナマズの飼育は玄人はだし。
中学2年で剣道を始めて以来幾年月。「昇段審査では苦労したクチ」だけに「そういう人の気持ちはよくわかります」。応じ胴の名手。かつて経営していた居酒屋『兵助』には有名剣士が全国から多数来店。多彩な人脈を持つ。奥深い知識と経験に基づく剣道放談が人気。2022年市民大会60歳以上の部第3位。
市川市剣道連盟常任理事。国際社会人剣道クラブ監事。小学生の時に髙玉司範士八段、丸尾増穂範士八段の指導のもと赤坂剣友会で剣道を開始。高輪高校剣道部時代には甲斐修二現八段の下で修業に励む。ブランクを経て市川で剣道を再開。照井寅雄八段から薫陶を 受け、その基本に忠実な剣道を後進に伝えたいと思っている。
錬士六段
岡山南高校で剣道開始、約20年のブランクを経て再開。以来数十年大野剣で剣道にいそしむ。初心者指導を長く担当して教え子多数。10年以上昔の教え子からも慕われている。「萩野先生に剣道を習うと学校の成績が上がる」という不思議 な伝説を持つ。78歳で六段に合格し生涯剣道を体現した。80歳を超えてなお、稽古前に子どもに交じりランニング。永遠の青春。
剣道五段
大野剣友会会長。マンガの影響で中学時代に剣道開始。指導者なしで川越市団体準優勝。高校ではレスリング部に所属し2度の埼玉県高校王者となるも「本当は剣道がやりたかった」。40代後半で息子とと もに大野剣入会。年齢不相応の高い運動能力で2017年市民大会60歳以上の部3位。2022年大野剣友会会長就任。「大野剣の主体は子どもたちです。みんなで力を合わせて、子どもたちを立派に育てて行きましょう」
市川市剣道連盟評議員。大野剣友会指導部長・大野剣友会運営委員。小4の時に小野派一刀流系の古流道場で剣道開始。市川五中剣道部。30代後半、剣道再開。五輪書を原文から研究。ブログ『花ちゃん姉妹のパパ剣道日誌』更新中。小学生時に数度会った小川忠太郎範士にならい「剣道を正しく楽しく仲良く少年少女剣士と共に学んでゆきたい」。果てなき剣の道を趣味の大型バイクツーリングのように悠然と進む。二人の娘は宝。
小手組(初心者)指導担当。大野剣友会運営委員
剣道四段
小手組指導・大 野剣友会運営委員
剣道三段
小手組指導・四人の子どもを育て上げたビッグママ。息子とともに大野剣に入会したが、気づけば息子よりも長く剣の道を歩む。「恐れ多いから私をホームページの指導者欄に載せないで」と発言は控えめだが、思い切りのよい「まっすぐな正面打ち」は大胆そのもの。名前の通りの太陽のような笑顔で大野剣を温かく見守る、朗らかな女流剣士。
面組指導担当。大野剣友会運営委員。高校時代はサッカー部、100メートル11秒の瞬足。スカウトを受け、Jリーグの前 身である実業団チームに入団して活躍。その後、警察官に転職して剣道開始。警察官大会で大将を務めるなど結果を残す。その人脈は広く深く、警察の同僚先輩後輩には七段八段の名剣士がズラリ。定年後に大野剣入会。軽妙な語り口と温和な人柄で親しまれる。多彩なテクニックは大野剣随一。
市川学園出身 。学生時代から大野剣で学ぶ大野剣友会の生え抜き剣士。多彩な剣技を持つテクニシャン。得意技は面抜き胴。娘が中学入学と同時に剣道部に入部したため、己が剣にもますます熱がこもる。力強い剣先から繰り出す真っすぐな面で2023年六段合格。
剣道六段
市川市剣道連盟理事。大野剣友会指導部統括。大野剣友会運営委員。元下貝 塚中学校剣道部主将、元国府台高校剣道部主将。中学の部活で剣道開始も指導者のいない稽古場で伸び悩み、高校3年の引退と同時に剣道から離れる。22年後の39歳、大野剣の体験稽古で島田会長から「お前のは剣道ではなくチャンバラだ!直せ!」と喝破され、感動して即時入会。2022年娘の大野剣入会で気迫も新た。同年市民大会50歳代の部3位。当ホームページの管理人、お問い合わせ担当。
大野剣友会副会長
剣道三段
小学校で剣道開始。高校時代は宮城県大会で団体ベスト8に入賞。市立横浜大剣道部出身。卒業以来25年以上のブランクを経て大野剣で剣道復帰し、小学生の息子とともに腕を磨く日々。「剣道のおかげで息子は元気にたくましく育っています。自分自 身も、ケガに気を付けながら長く剣道をつづけられるようにがんばります」
父の影響で幼少期より剣道にいそしむ。父とは島田稔顧問。娘、甥も剣の道を行く島田一家の中堅。近年は稽古に参加できない日々が続くも実力は折り紙付き。2022年大野剣錬成大会では3戦0敗と相変わ らずの強さを発揮。婦人部からは「稽古してないのにずるいよ!」との声が上がった。2016年市民大会40代女子の部準優勝。大野剣のファッションリーダー。
元下貝塚中学校剣道部主将、国分高校剣道部。幼少より大野剣に学ぶ。少年時代、島田稔元会長をしてその才能を「モノが違う」と(密かに)言わしめ た男。父・見崎一彦会長とは大野剣錬成大会で40分間の死闘を演じるなど幾度も熱戦を繰り広げてきた。(周りはそれを「恒例の親子喧嘩」と呼ぶ)。大野剣の若手筆頭。
大野剣友会で剣道に出会う。船橋高校で県大会に出場。東北大学時代は剣道サークルに所属し仙台市民大会三段以下の部ベスト8。社会人になると同時に大 野剣友会に復帰。忙しい仕事の合間を縫って稽古にいそしむ。「もっと剣道がうまくなりたいです」。好きな食べ物はハンバーグ。大野剣の未来を担う男。
大野小で大野剣の稽古に憧れ、エースで活躍した野球部を中3で引退した直後に大野剣に 入会。昭和学院高時代、廃部危機の剣道部を、経験者を自らスカウトして再建。県大会出場に導くも「強い選手を集めすぎてレギュラーから外されました(笑)」。中央大進学後も大野剣で稽古続行。好きな言葉は『不撓不屈』。現役警察官。「正しい剣道と真直ぐな人生を目指します」。企画力アリ。隠れファン多し。
千葉商大付属高校時代は弓道部。「静的な武道だけでなく動的な武道もやってみたい」と、駒澤大学時に大野剣友会に入会。日本史・日本文化に造詣が深く、趣味は神社巡り。「自分の剣道の質を上げていきたいです」。市役所勤務。座右の銘は『臥薪嘗胆』。静かなる闘志。
インターハイ個人戦東京代表。明治大剣道部で活躍。しばしのブランクを経て40代で剣道復帰。国内はもちろん海外でも指導実績多数。市民大会では表彰台の常連。八段を目指すと明言し修行に励んでいたが、合格確実と言われた七段審査の直前で病に倒れ2016年に他界。その厳しくも温かい眼差しは大野剣の記憶に深く刻まれ、今も会員の心を鼓舞し続けている。合言葉は「前へ!」