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攻めを究めよ!

  • 執筆者の写真: yoshidajun9
    yoshidajun9
  • 2020年3月15日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年5月3日


 新型ウイルスの勢いが止まりません。小学校も中学校もお休みで、剣道もずーっとお休み。なんだかなあ、と気持ちも沈みがちですが、ちょっと待って。へこんだところで、稽古が始まるわけでもない。むしろ今が、剣道と、あるいは自分とじっくり向き合うチャンスです。時間がたっぷりあるのだから、素振りだっていくらでもできる。みなさん、素振り(前回このブログで紹介した新聞紙でもなんでも)、やってますか? 走ってますか? 差がつくのは今。がんばりましょう。

 大野剣友会の高中俊介先生七段から、管理人の私が昨年末にいただいたお手紙を紹介します。お手紙といってもそれは箇条書きからなる先生のメモ書きで、それを私が意訳(超訳?)したものが、写真のそれです。

 高中先生のお手紙に、私はかなり感化をうけました。私ひとりではもったいないと思うので、みなさんとシェアします。読みづらいかもしれないので、下記に文面を掲載します。

 大人剣士のみなさんには響く言葉だと思います。子ども剣士みなさんにはかなり難しい内容ですが、剣道の奥深さや可能性を感じてもらえればと思います。では、どうぞ。

 

 攻めを究めよ。

 剣道において、攻めとは機先を制する力。相手の心を事前に察知し、相手を無力化する能力のことである。

 攻めを培うものは心の鍛錬、攻めの天敵は己の欲である。打ちたいという欲に目が眩めば、攻めが先で打ちが後という剣の理法が見えなくなる。攻めを疎かにして自分勝手に打ち込めば、逆に打ち負かされる。己の欲を抑え、和する心で相手と向き合い、機に臨んでは小細工せずに真直ぐに、基本通りに捨てて打つ。こうした心の鍛錬が、攻めを強化していく。

 攻めの強さは剣道家の格を決める。高段者は千変万化の攻めで相手の無駄技を溶解せしめ、勝負以前の段階で優劣を確定づける。そこに争いは生まれない。すなわち攻めの強化は、自ずから平和の追求の道に通じている。剣道の、人間形成の道たる所以である。

 己の剣道に行き詰りを感じたら、己の攻めを見つめなおすとよい。攻めの秘めたる奥深さが、剣の道に果てのないことを思い出させてくれるだろう。

 攻めの修錬こそ真の剣道修行である。

 攻めを究めよ。


 こんなの読むと、また剣道やりたくなっちゃいますね。それでは、また(^_-)-☆












 
 
 

2 Comments


yoshidajun9
yoshidajun9
Feb 12, 2021

花ちゃんパパ先生

コメントありがとうございます。

いいですよね、この言葉。

「攻めとはなんでしょうか」

という私の問いに対するお答えとして

先生からいただいた言葉です。

今も額に入れ、私の仕事デスクの右上に飾ってあります。

管理人より。


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so_take_it_easy
Feb 12, 2021

高中先生の言葉 今さらながら 良いですね

剣道の極意は「和」だと50代半ばで(8段挑戦予定)早くして天国に行ってしまった埼玉時代の亡き師匠の言葉

「攻め剣道」の極意が「和」だとは、私のような素人にはうかがい知れない世界

でも高中先生は、その入り口が見えているのでしょうね

まっその前に「合気」の練習ですね 自分には・・・・  BY花ちゃんパパ

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