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攻めを究めよ!


 新型ウイルスの勢いが止まりません。小学校も中学校もお休みで、剣道もずーっとお休み。なんだかなあ、と気持ちも沈みがちですが、ちょっと待って。へこんだところで、稽古が始まるわけでもない。むしろ今が、剣道と、あるいは自分とじっくり向き合うチャンスです。時間がたっぷりあるのだから、素振りだっていくらでもできる。みなさん、素振り(前回このブログで紹介した新聞紙でもなんでも)、やってますか? 走ってますか? 差がつくのは今。がんばりましょう。

 大野剣友会の高中俊介先生七段から、管理人の私が昨年末にいただいたお手紙を紹介します。お手紙といってもそれは箇条書きからなる先生のメモ書きで、それを私が意訳(超訳?)したものが、写真のそれです。

 高中先生のお手紙に、私はかなり感化をうけました。私ひとりではもったいないと思うので、みなさんとシェアします。読みづらいかもしれないので、下記に文面を掲載します。

 大人剣士のみなさんには響く言葉だと思います。子ども剣士みなさんにはかなり難しい内容ですが、剣道の奥深さや可能性を感じてもらえればと思います。では、どうぞ。

 

 攻めを究めよ。

 剣道において、攻めとは機先を制する力。相手の心を事前に察知し、相手を無力化する能力のことである。

 攻めを培うものは心の鍛錬、攻めの天敵は己の欲である。打ちたいという欲に目が眩めば、攻めが先で打ちが後という剣の理法が見えなくなる。攻めを疎かにして自分勝手に打ち込めば、逆に打ち負かされる。己の欲を抑え、和する心で相手と向き合い、機に臨んでは小細工せずに真直ぐに、基本通りに捨てて打つ。こうした心の鍛錬が、攻めを強化していく。

 攻めの強さは剣道家の格を決める。高段者は千変万化の攻めで相手の無駄技を溶解せしめ、勝負以前の段階で優劣を確定づける。そこに争いは生まれない。すなわち攻めの強化は、自ずから平和の追求の道に通じている。剣道の、人間形成の道たる所以である。

 己の剣道に行き詰りを感じたら、己の攻めを見つめなおすとよい。攻めの秘めたる奥深さが、剣の道に果てのないことを思い出させてくれるだろう。

 攻めの修錬こそ真の剣道修行である。

 攻めを究めよ。


 こんなの読むと、また剣道やりたくなっちゃいますね。それでは、また(^_-)-☆












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